尾張名古屋は城で持つ

『伊勢音頭』の一節に「伊勢は津で持つ、津は伊勢で持つ、尾張名古屋は城で持つ」と唄われ、名古屋は城とともに栄えてきました。

名古屋城は、姫路城、熊本城と並び、日本三名城に数えられ、大天守の金の鯱は、今でも名古屋のシンボルとなっています。
その築城は、戦国時代の動乱が治まった江戸時代初期に遡ります。

織田信長の誕生した場所として伝わる今川氏、織田氏の居城であった那古屋城の跡地に、徳川家康が九男の徳川義直のために、天下普請によって建造されたと言われています。

以後、紀州、水戸と並ぶ徳川御三家の尾張徳川家の居城として、17代にわたる長い歴史を刻みました。天下太平の江戸時代には、本家の徳川幕府を江戸と京都の間で支えた名古屋城も、明治維新によって大きな危機に直面します。

1870年には第14代藩主の徳川慶勝は、明治新政府に対して名古屋城を取り壊すとともに金の鯱を鋳潰し、旧武士の帰農資金にすることを申し出ました。
ところが、名古屋城の文化的価値を認めた新政府のリーダー、山形有朋は1879年に、名古屋城の保存を決定しました。

これによって、名古屋城は第二次世界大戦までは歴史的な姿を保ち続けましたが、名古屋空襲によって、築城以来の姿を焼失してしまいました。